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94歳のピアノ
2014.8.8

原爆や空爆に遭ったピアノを修復している広島市の矢川光則さんの工房へ、
今年、5台目の被爆ピアノが預けられました。

持ち主は、現在広島市西区井口に住む79歳の岩田守雄さん。
音楽教師のお父さんが大切にしていた1920年製のアップライトピアノでした。

1945年8月6日の朝、岩田さんのお父さんは出勤し、
お母さんは建物疎開へでかけていました。

岩田さんは小さな弟と2人で、中区舟入川口町の自宅で留守番。

ピアノはお父さんの書斎に置いてあったそうです。
こどもはめったに入れませんから、別の部屋にいたという朝8時15分。

突然の閃光のあと、激しい爆風に気を失ってしまいました。

家は爆心地から約1.5kmの場所でした。

気がついた時には数メートル飛ばされていて、
屋根は崩れ落ち、部屋は、がれきとなっていました。

その日、お母さんが帰ってくることはありませんでした。

後日わかったのが、建物疎開にでかけて被爆し、
傷つきながらも自宅をめざし帰ろうとしていたそうです。
岩田さんや、疎開していた2人の兄弟、その4人のこどもたちの名前を
最後まで呼び続けていたことが、
介抱してくれた人を伝って知らされたそうです。

岩田さんとお父さんは崩れた家からピアノを運び出し、
台車に載せて井口の祖母の家まで避難。

そして、勉強して自身も音楽の先生に。
ピアノを引き継ぎました。

奥様と出会い、結婚してからもしばらくそのピアノは
音を奏で続けたそうです。
そしてこの春まで居間で岩田さんと生活を共にしていました。

岩田さんは自分の「分身」と言います。
しかし、体がいうことをきかなくなった今、
そのピアノに、自分にできなかったことを受け継いでほしいと、
矢川さんに託すことにしました。

中からは驚くべきことに、ガラス片、物差し、土壁のかけらが出てきました。

3か月かけて再生された被爆ピアノ。
8月6日に、平和公園の青桐の樹(被爆アオギリ)のそばで、
お披露目されることになりました。

88の鍵盤が主流の今ですが、このピアノは85鍵。
ショパンモデルと呼ばれる珍しい物です。

アオギリコンサートでは、こどもから年配者までがそのピアノを弾きました。

戦禍を生き延びた94歳のピアノが、深い音色を響かせます。

岩田さんは「年数が経っているから音は堅いけど、にごりの無い音なんだ」と
おっしゃっていました。

東京から来られた演奏家、福田直樹さんの演奏が印象的でした。

鎮魂、祈りの曲を弾きたいと、ドビュッシーの「月の光」、ショパンの「ノクターン」
モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を演奏されました。

福田さんも、本来命日は静かに迎えてあげたいけれど、
自分の演奏でできることがあればとおっしゃいました。

私も癒されましたが、穏やかな響きが魂に届いたのではないでしょうか。

このピアノがこれから全国各地で演奏されるといいですね。

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8月6日、岩田さんご夫婦と、ケアマネージャーの方と

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被爆ピアノでのこどもたちの演奏と合唱

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ピアノの説明をする演奏家の福田さん