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いしぶみ
2016.8.2

8月になりました。
71度目の広島、長崎の原爆忌がやってきます。

今年は「オバマ効果」もあって、大統領が訪れた広島の平和公園、
原爆資料館を見学する人が増えました。
一人でも多くの人が、71年前の惨劇を知り、
被爆者の苦しみに寄り添ってくれればと思います。

先日、ヒロシマ・フィールドワークに参加し、
被爆当時、旧制県立二中の2年だった國重昌弘さんにお話を聞きました。

当時、広島市内では米軍の焼夷弾による火災の延焼を防ぐため、
中心地のあちこちで建物を取り壊す作業が行われていました。

その作業に駆り出されていたのが、夏休み中の中学生、女学生たちでした。

アメリカ軍は、何の予告もなしに、開発したばかりの新型核兵器を
こどもたちの頭上に落としたんです。

國重さんたち2年生は、5日に本川のそばで建物疎開をし、
6日は、広島駅の北側にあった東練兵場のいも畑の草刈りに動員されていたそうです。

8時15分、整列して点呼を取るというとき、原爆が炸裂。

爆風と熱風に2度気絶したそうです。
気が付くと、みんな倒れていて、友人の顔がねずみ色になっていました。
ほこりがついていると思い払おうとすると、ズルっと皮がめくれたといいます。
自分の顔も触ってみると、同じでした。
体中が痛くて痛くて動け、ずにその場に残っていると、
大やけどをして真っ黒な顔の、同じ二中の制服を着た1年生が一人、逃げてきました。

その日、1年生321人が、爆心地からわずか500mのところで建物疎開に集まっていたのです。

2年生の兄がいるというので逃げてきたその子は、
國重さんたちが休んでいた傾いた家の陰にゆっくりと入ってくると、
「涼しい・・」といいかけて息を引き取ったそうです。

そこにいた2年生たちは大声をあげて泣いたといいます。

321人の1年生全員が亡くなりました。
慰霊碑が平和公園の西側の本川土手にあります。

広島テレビは1969年、その1年生たちについてテレビドラマ「碑」にして放送しました。
女優杉村春子さんが一人で遺族の手紙に記されたこどもたちの最期の様子を語ります。

文化庁芸術祭賞やギャラクシー賞などを受賞したこの作品は、
8月5日(金)からNHK広島放送局4Fのハイビジョンシアターで開催する
「NHK・民放番組上映会 テレビが記録したヒロシマ」でご覧いただけます。
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8月8日と13日に「碑」の上映があります。

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さらに、是枝裕和監督、綾瀬はるかさん主演で映画「いしぶみ」として現代にリメイクされ
先日から全国で順次ロードショーとなっています。

広島市では八丁座ですでに公開が始まり、
福山シネマモードとシネマ尾道で、6日から公開されます。

広島にはその県立二中の他にもたくさんの慰霊碑があります。
今は緑の生い茂る平和公園の下には、消えた町があります。

この夏、声なき声に耳をかたむけたいですね。