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もっとキニナル#2
2020.7.24

きょうも「キニナル」をご覧いただき有難うございました!

 

きょうの主人公は、サッカー元日本代表の下村幸男さん。

1956年のメルボルンオリンピックの代表に選ばれ、
現役引退後は東洋工業の監督として
チームを日本リーグ4連覇に導き
黄金時代を築きました。

 

 

88歳になった今も、母校修道中学・高校サッカー部の練習に月に数回足を運びます。
30年ほど前から続行けています。

 

情熱を注ぐサッカーとの出会いは
75年前の8月6日の出来事と大きな関係がありました。

 

13歳の時に爆心地から1キロの場所で被爆した下村さん。
木陰にいたため難を逃れましたが、
同級生の大半を亡くしました。

今でもその同級生への申し訳なさから
被爆体験はほとんど語りません。

 

そして、戦後下村さんは苦しみます。

軍国主義教育を信じ、卒業後は軍人になると思っていたため
敗戦後は目標がなくなり無気力な日々を過ごすことに。
今でもその日々は思い出したくないとおっしゃっていました。

 

そんな中、出会ったのがサッカーでした。

戦前から修道はサッカーが盛んで
広島一中、広島高等師範附属とともに
サッカーの名門として全国にその名を轟かせていました。

 

「打倒一中!」とサッカーに情熱を燃やす先輩たちの姿を見て
「自分も伝統を引き継いで何か残したい」と思うようになったそうです。

戦後の生活の苦しさから、
高校卒業後は大学進学せず就職すると決めていたため
「最後の青春の思い出を」と
目標喪失でやり場のなくなったエネルギーをすべてサッカーに注ぎます。

 

戦後のグラウンドはまだがれきが残る中、
しかもガタガタの土のグラウンド。

厳しい環境の中でしたが、何かに情熱を燃やしたかった。
時にはライバル校の練習を偵察に行って
練習方法を盗むことも…。
修道のグラウンドで貪欲に練習したこと、これが下村さんのサッカー人生のスタートでした。

 

「全国優勝」や「代表入り」など高みを目指してスタートしたわけではありません。

しかし、サッカーを続ける中で目標を見つけ続け、
前を向いて生きることに繋がりました。

 

放送後、お礼のためお電話したのですが、
「あすも朝から修道の練習を見に行くよ!」
と元気な声でおっしゃっていました。

サッカーが生きがい、生涯サッカー。

 

その喜びを今度は後輩たちに。

グラウンドに足を運び続け
若い世代にサッカーを通して
それができる喜びを伝え続ける。

 

「サッカー王国広島」の礎を築いた方にインタビューし、
私が日々取材する高校サッカーやサンフレッチェがあるのは
下村さんをはじめとする先輩方が
戦後色んな思いを持ちながら情熱を燃やしてくれたおかげなのだと思い、

サッカーを見られる日々のありがたさを改めて感じました。

 

サッカーを取材する立場として
貴重な財産になったインタビューでした。