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被爆75年の広島でできること
2020.8.5

 

明日、8月6日は、広島に原爆が投下された日。

「75年は草木も生えぬ」と言われてから、75年後の今年、”広島で働く一人”として迎える原爆の日は、例年とは違う気持ちです。

 

私自身、広島で生まれ育ったのに、恥ずかしながら、原爆投下による被害の惨状や、今も残る被爆の影響について、知らないことばかりです。

 

私が幼いころに亡くなった祖父は、戦時中は呉で船か飛行機を作っていたと、父に聞いたことがあります。
寡黙な祖父で、戦時中のことは聞いてもあまり教えてもらえなかったと、父は言います。
私自身、当時のことを詳しく聞けていなかったことが悔やまれます。

 

思い返してみれば、小中学生の時は、幸いにも、平和学習で原爆について考える機会が多くありました。

小学校の時の8月の登校日、「8.6の集い」では、全校集会で原爆にまつわる歌を合唱しました。

合唱部として、コンテストで「アオギリのうた」を合唱したこともあります。
「アオギリのうた」は、爆心地から1.3キロのところで被爆したアオギリをテーマに、平和を願う歌です。

また、中学の時の「8.6の集い」では、一人一人が平和への願いを込めて、折り鶴を折りました。
生徒会が代表して平和公園に寄贈したそうです。

 

大学の時には、バックパックを背負って東南アジアを旅行したことがありました。
外国人にどこから来たのか聞かれ、「ヒロシマ」と答えると、みんな「ああ、ヒロシマか」と、知っている様子でした。

大きくなるにつれ、「ヒロシマ」という特別なところで育ったんだなあ、と感じるようになりました。

 

原爆投下から75年。

被爆された方の高齢化が進む中、いかにして後世に原爆の惨状を、平和の尊さを伝えていくかが課題になっています。

私は、テレビの役割は、姿を、言葉を、声を、残して後世に伝えていくことだと思います。

だからこそ、ここ「ヒロシマ」でできることをしっかり考えて、テレビ局で働く一員として、その役割を果たしていきたいです。

そのために、まずはしっかり勉強して、他県に住む友人に「75年前の広島ではこんなことがあったんだよ」と話していきたいです。

 

広島テレビでは、明日午前8時から、池上彰さんをお招きして、「つなぐヒロシマ」を放送します。

明日は私も、テレビの前から、「平和の尊さ」「原爆の被害」について考え、平和への祈りを捧げます。

 

こちらの写真は、前述の大学時代のバックパッカーをしていた時、一緒に旅をした友人の案で、お世話になった方に渡していた折り鶴です。

中には五円玉を入れており、「このご縁に感謝!」という気持ちと、日本文化の一つである「折り紙」で平和のシンボルである「折り鶴」を折ることで、日本のことを発信したい!という気持ちで渡していました。

 

新型コロナウイルスの影響で、平和活動も例年通りとはいきませんが、平和を祈る気持ちはコロナに負けないよう、祈り続けます。

 

今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。