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ドタバタかいご備忘録、いよいよ今日からスタートです。
まずは、本来の元気な頃の母を知っていただくためにも、基本情報から。
昭和23年6月29日、5人きょうだいの末っ子として生まれた母は、
蝶よ花よと育てられ、末っ子らしく天真爛漫な子供でした。
体も大きく、何かと目立つタイプだったようで、
発表会で主役を演じたり、ラジオで歌を披露したりしたこともあったそうです。
5歳年上だった父とはお見合い結婚。
顔はタイプではなかったけれど(笑)、ニコニコとほほ笑む父を見て、
「将来、縁側でお茶を飲みながら笑い合っているかも」と感じたんだとか。
二人の娘(姉と私)を産んだ後は、家でできる仕事を!と、化粧品店を開店。
話し好きだったので、お客さんと楽しそうにおしゃべりしながら
メイクアップしていたのを覚えています。
また、着付けを勉強し、よく家の柱で帯の結び方を練習していました。
家事と仕事がありながら新たなことに挑戦している姿を見て、
子供ながらに努力家だな~と思ったものです。
私の成人式には、母が着付けとメイクをしてくれました。
加えて、お茶目な人でもありました。
家族でカラオケに行くと、いつも前に出て、おどけて踊って見せて、
当時思春期真っ只中でノリの悪かった私と姉も、こらえきれずに笑ってしまうほどでした。
一方で、うっかり屋と言いますか、ちょっと頼りなかったのも事実。
小さい頃アレルギーのあった私を、毎日、隣町の耳鼻科へ連れて行ってくれたのですが、
道の真ん中でガス欠になり立ち往生したのが、いまだに忘れられません。
1人では電車の乗り方も分からない、なんて言っていた気もする…。
つまり、私のおとぼけは、母譲りです(^_^;)
そんな母にパーキンソン病の症状が現れたのは、今から20年前。
48歳の時でした。
(次回へつづく)
(私の大学入学で、東京に同行してくれた時、地下鉄で撮った一枚。母45歳の時。)