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ドタバタかいご備忘録㊹ 認知症を受け入れる
2018.12.19

認知症の宣告から、精神科への緊急入院、胃ろうの危機、褥瘡(じょくそう)治療など、

めまぐるしい日々を送る中、私の心にはある変化が生まれていました。

それは、母の認知症を受け入れ始めたことです。

 

認知症と診断された時、私は「やっぱりそうだったか」と納得はしても、

その後も母がおかしな言動をすると、元気な頃と変わらず母を咎めてしまっていました。

しかし、どんなに正そうとしても母は納得することはなく、精神状態が不安定になるばかり。

私もイライラして、ついきつい言い方をしてしまい、自己嫌悪に陥る…その繰り返しでした。

転機となったのは、10年前(今から21年前)に他界した

父(母にとっての夫)に関する会話です。

父が亡くなったことを忘れてしまった母は、しきりに

「お父さんは今どこにいるの?」と聞いてきました。

「10年前に亡くなったでしょ。」と答えると、母は「本当に?」と驚いて、

ひどく落ち込みました。

そして数日後、再び「お父さんはどこ?」と質問をしてきました。

「がんで亡くなったでしょ。覚えてない?」と私が言うと、「本当に死んだの?」と、

また初めて知ったかのようにショックを受け、悲しみました。

そんな会話を繰り返すうちに、私は、

真実を伝えるのが母にとって果たしていいことなのだろうかと考えるようになりました。

何度も何度も悲しい思いをさせるより、穏やかに受け流すほうが母のためではないか…。

以来、「お父さんは?」と聞かれれば、「生きている」とは言わないまでも、

「会いたいよね。私も会いたい。」とか「いつもお母さんを見守っているね。」などと返し、

別の話に持っていくようにしました。

それでも問い詰められて、結局本当のことを言わなければならないこともありましたが(汗)

 

母の幻覚や妄想に対しても同じです。

「そんなものはいない。」とか「間違っている。」などとは言わず、

「そうだね。私には見えないけど、お母さんには見えているんだね。」とか

「お母さんはそう感じるんだね。」と、否定しないことを心がけました。

そうやって少しずつ、私は母の認知症を受け入れていったのです。

 

一方で、受け入れたくても受け入れられないことがあるのも介護の現実。

次回綴ります。

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