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新たな老人ホームでの生活は長くは続きませんでした。
豊富なアクティビティには満足していたものの、1か月もすれば、
前の老人ホームの時と同じように、母の問題行動が指摘されるようになり、
母自身も介護への不満を口にし始めました。
さらに、一番のネックは、家から1時間という距離でした。
私が車の運転に慣れていなかったこともあり、気軽に会いに行けず、
母に何らかのトラブルがあってもすぐに駆けつけることができませんでした。
結局、家から近い老人ホームに空きが出たこともあり、半年ほどで転居となりました。
ところで、この頃、我が家では、母の強い意向で、ある二つの事に取り組みました。
一つは、母名義の口座を一つにまとめ、私が母のお金の管理を請け負うこと。
それまでは、娘であっても、親がどこに、いくつ口座を持っているのか、
どんな保険に入っているのかなどは把握していませんでした。
それを私が管理することで、その後の母の病気の治療や、介護施設にかかる費用に
スムーズに充てられるようにしたのです。
母はその後、自分の口座も暗証番号も分からなくなってしまったので、
まだ判断ができるうちに引き継いだのは正解でした。
もう一つは、空き家状態になっていた福井にある実家を整理し、貸し出すこと。
母が福井の家を出てから数年が経ち、人が住まなくなった家は、傷む一方。
しかし、先祖代々守ってきた場所を簡単に手放すこともできず、棚上げ状態でした。
運よく借りて下さる方が見つかり、横浜に住む姉と(時には母も)何度も実家に帰り、
家の中にあったすべての物を片付け、引き渡しました。
長男の嫁として馬場家に嫁ぎ、父亡き後、家を守っていく事を使命と感じていた母にとって、
大切な家を人に貸すことは苦渋の決断でしたが、
いずれ分からなくなってしまう前に…という切迫感があったのかもしれません。
あの時決行していなかったら、今頃、実家の管理に悩んでいただろうと思うと、
私達娘のための決断だったのかなと、母に感謝しています。