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ドタバタかいご備忘録⑤ 無知
2017.3.16

母がパーキンソン病と聞かされて以降、私は毎日のように横浜に住む姉と電話をしました。

それぞれが病気について調べ、

母に介護が必要になるのはいつごろで、その時はどうすべきかなどを話し合いました。

そして、母が一人で生活ができる間は密に連絡を取りながらサポートし、

いずれはどちらかの家に母を呼び寄せようと決めたのでした。

 

それにしても、パーキンソン病だと分かるまで、私は無知をいいことに、

母に随分と無理を言ってしまいました。

例えば、指の震えも、貧乏ゆすりの一種と思い、

「止めないと癖になるよ」とよく注意していたし、

母娘2人水入らずで北海道旅行に行った際も、

バスの時間が遅れそうなのにゆっくり歩いている母にイライラしてしまいました。

今思えば、あの頃の母は元気に見えて、少しずつ体が動かしにくくなっていたのでしょう。

 

母の病状は、ゆっくりと進行していきました。

左手の中指から始まった震えも、左手全体に及び、右手、両足、

数年後には、あご、まぶたまで広がっていきました。

帰郷するたびに、母の病状が悪くなっているのが分かり、

不安な気持ちになったのを覚えています。

母(当時50歳)と二人で初めての北海道旅行 (1998年9月)

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