ANNOUNCER BLOG
受け入れたはずの母の認知症ですが、どう対応したらいいのか頭を抱える症状もありました。
一つは、異食、つまり食べ物ではないものを食べてしまう行為です。
クリスマスツリーに飾られていた綿を口に入れてしまったこともあれば
醤油やポン酢などの調味料を茶碗一杯に注いで、
ジュースのようにゴクゴク飲んでしまうこともありました。
さらに、一番困ったのは、便を口にしようとしたことです。
「最近、便を触ったり、口に入れたがったりするんです。」と、施設から報告を受けた頃、
母を病院に連れていく機会がありました。
病院で便意を訴えるのでトイレに付き添うと、すでにパッドに出てしまっていました。
便を触らせないよう、さっと抜き取り、いったん目の届かないところによけましたが、
母はそのパッドを見せてほしいと言います。
「大丈夫よ。私が片付けておくから。」となだめても、トイレの中を見回し、
場所が分かると、倒れそうになりながら立ち上がって、なんとしても取り返そうとします。
私は、狭いトイレの中で、母の手をつかみ、
取っ組み合いのようになりながら必死で制しました。
もう一つは、「家に帰りたい」と訴え、施設を何度も抜け出そうとしたことです。
この場合の「家」は私のいる広島の家ではなく、故郷・福井の家です。
母は、自分が広島にいることが分からなくなっていて、タクシーにでも乗れば、
すぐに福井の家に帰れると思っていました。
といっても、福井の家は、母がまだ判断能力がある頃、母の意向で人に貸したので、
帰れたとしても中に入ることはできないのですが、それも忘れてしまっていました。
フロアのドアはオートロックになっていましたが、すきを見て外に出て、
捜索されることもありました。
そのため、私が施設に会いに行けば、「今から家に連れて帰って。」とせがまれるので、
面会自体、気が重い時期もありました。
「ここは福井ではない」と言っても通じません。
とりあえず車に乗せ、母の気が済むまで、何時間も走ったことも。
それでも母の気がそれることはなく、最後は施設の方に強制的に引き渡しました。
私の都合で母を遠い広島に連れて来てしまったこと、
その上、一緒に住むこともできず、一人、施設での生活をさせてしまっていること…。
申し訳なさと、それでも現状を変えることのできない無力感で、
気の晴れることのない毎日でした。