ANNOUNCER BLOG
昨日8月6日、広島は70年目の原爆の日を迎えました。
広島市の平和公園では平和記念式典が行われ、
原爆が投下された時刻、8時15分には、原爆死没者の冥福と平和を祈り、
黙とうを捧げました。
目を閉じると、セミの声がひときわ大きくなったように感じました。
このセミの声も、70年前の同じ時刻には、一瞬にして消えてしまったんだなと、
あの日を想像しました。
昨日放送した特別番組「テレビ派×池上彰 つなぐひろしま」の中で、
私は、爆心地から350mの位置にある本川小学校におじゃましました。
教職員と子供達、約410名が犠牲になった、爆心地から最も近い小学校です。
学校の敷地内には、被爆建物が残っています。
昭和3年に広島で初めて建てられた鉄筋3階建ての校舎の一部で、
今は平和資料館になっています。
展示されているのは、熱線でグニャグニャに溶けたガラス瓶や、
犠牲になった先生の形見の指輪、原爆慰霊碑の碑文のもとになった書など様々。
かつて平和公園の原爆資料館にあった、被爆後の広島市内の模型なども置かれていて、
小さいながらも原爆の悲惨を伝える内容が凝縮された資料館だと感じました。
中でも、私が最も印象に残ったのは、被爆から約半年後に再開された授業風景の写真です。
戦時中、学童疎開をしていた本川小の児童は205人(昭和20年4月15日の時点)。
三次の西福寺に疎開していた児童40人のうち、原爆が投下された後
両親が揃っていたのはたった1人、片方の親だけが7~8人、
残りは両親ともに死亡という悲惨な状態でした。
写真の中の、いがぐり頭やおかっぱ頭の子供たちの後ろ姿に、
天涯孤独になった寂しさや不安を見たような気がして、胸が張り裂けそうになりました。
我が家は、まだ平和公園の原爆資料館に子供達を連れて行ったことがありません。
何年か前、家の本棚に原爆の本があるだけで、長女が泣いて怖がったからです。
同世代の小学生が通う学校にあるこの資料館なら、
初めての平和学習にぴったりかもしれません。
本川小学校の平和資料館は、土日祝日を除く、午前8時30分から午後5時まで
開館しています。(8月1日から10日までは一般公開中)