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ドタバタかいご備忘録(59)陰りのない気持ち
2019.8.19

母が亡くなって一番つらかったのは姉だったのではないかと、私は思っています。

母がパーキンソン病になった時、私と姉は、二人で協力して介護をしていこうと話しました。

母には姉のいる横浜と私のいる広島を行ったり来たりしてもらって、

介護を分担するつもりでした。

姉は母をいつでも横浜に呼べるように、部屋が一つ多い家に住み替えもしていましたが、

母は広島で人間関係を築き、広島に住み続けることを選びました。

結果的に、姉は、何もしてあげられなかったと落ち込み、

私に対しても任せっきりになってしまったと、後ろめたさを感じているようでした。

 

私は、姉に自分を責めないでほしいと願っています。

母を広島に呼んで12年。

たくさん悩んで、たくさん奔走しましたが、私にはそれができる環境がありました。

受け入れてくださる介護施設があり、病院があり、母の友人の協力があり、

夫や上司の理解もありました。

私が母のことだけで手一杯の時は、義父母が子供をみてくれました。

周囲に支えられ、母との時間を過ごすことができた私は、とても恵まれていたのです。

 

20年前、父が他界した時、私は何もしてあげられなかった後悔を、何年も引きずりました。

一方で、母が亡くなった後は、不思議なくらい陰りのない気持ちでした。

私なりに必死に向き合ってきたからでしょうか。

もっと優しくしてあげればよかったという反省はあるけれど、

母に対して私がしてきたことは、その時その時の精一杯だったと思っています。

 

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