ANNOUNCER
2004年12月、母がついに広島にやってきました。
これでようやく、母に親孝行ができる… 私はやる気に満ち溢れていました。
母の部屋は、トイレに一番近い、私の寝室の向かい側にしました。
夜中にトイレに行きたくなって呼ばれても、すぐ連れて行けるようにです。
また、日中は母と外出することを心がけました。
横浜では「急に薬の効果が切れて動けなくなるのが怖い」と言って
家に閉じこもっていた母に、外出に慣れて、前向きに生活してもらいたかったからです。
特に足を運んだのは、パーキンソン病友の会の集まりでした。
同じ病気でも明るく生きていらっしゃる方がたくさんいることを知ってほしい、
そして、私の育休が終わっても母が一人寂しくならないように、
友達を作ってほしいとの思いからでした。
娘を抱っこひもで抱っこしながら、いつも母と一緒に友の会のコーラスクラブなどに
参加していました。
あの頃の私は、母に広島に来たことを後悔させたくないと必死だったのです。
(広島に来て半年が過ぎた頃の母)