ANNOUNCER
広島で今年、注目を浴びている被爆建物があります。
爆心地から約2.7㎞、広島市南区にある旧広島陸軍被服支廠。
かつて軍都として栄えた広島で、軍服や靴などを製造・管理した軍需工場です。
原爆投下後には臨時の救護所としても使われ、多くの人々がここで命を落としました。
現存する4棟の赤レンガ倉庫は、原爆の爆風で変形した窓の鉄扉がそのまま残っています。
広島県は去年、県が所有する3棟について、震度6強の地震で倒壊する恐れがあるとして、
1棟を外観保存、2棟を解体・撤去する案を示し、県民の意見を公募。
結果は、反対が62.2%、賛成が31.9%となり、今年度の事業着手は見送られました。
もの言わぬヒロシマの証人として残してほしい、
戦争の加害の歴史を伝えるという意味で、他の被爆建物とは違った価値がある、
鉄筋コンクリート建築としても日本最古級…などの意見がある一方、
3棟保存の場合、利活用費を含めると100億円規模となり、
財源の確保をどうするのかが大きな課題です。
私は、保存と活用はセットだと思っています。
多額の費用をかけて残しても、そこで何があったのかが見る人に伝わらなければ
もったいない!
どうすれば、たくさんの人に足を運んでもらえるのか。
そして、あの建物から戦前戦後の広島の歴史を振り返り、
全ての戦争の犠牲者に思いを馳せてもらうにはどうしたらいいのか…。
それを考えることが、おのずと、この市内最大級の被爆建物を守ることにつながると
期待しています。
先日、リニューアルオープンした、平和記念公園内のレストハウスに行ってきました。
被爆建物であることは知っていましたが、これまで、何気なく通り過ぎてしまっていました。
大正屋呉服店として建設、後に「燃料会館」となり、被爆当日37人が勤務していましたが、
たまたま地下に資料を取りに降りていた1人を除き、原爆の犠牲になりました。
新しく作られた展示室では、平和公園の地下に眠る被爆前の街、中島地区の移り変わりや、
レストハウスの歴史を深く知ることができ、
生存者の手記や被爆当時の様子を描いた絵も見ることができます。
平和公園内で被爆前の面影を残す唯一の建物の存在意義に改めて触れ、
見る目が変わりました。
もの言わぬ証人だからこそ、見る人の想像力に訴える記憶の継承が必要と感じました。
旧広島陸軍被服支廠にも通ずるかもしれません。