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発病から5年、母はついに一人で生活ができなくなりました。
そんな母が最初に頼ったのは、私達娘ではなく、生まれ育った実家でした。
母の兄夫婦が住んでいて、日に何度か動けなくなる母をトイレに連れて行くなど、
随分助けてもらっていました。
私も横浜に住む姉も、親戚に迷惑をかけているのが心苦しく、どちらかのところへ来て
一緒に生活してほしいと母に頼みましたが「娘に迷惑をかけたくない」の一点張り。
なかなか首を縦に振ってくれませんでした。
頑なだった母の心が動いたのは、それから1年後。
4歳と2歳の子育て中だった姉が仕事に復帰することになり、
孫の世話や家事のサポートができればと、横浜での生活を選んだのです。
病気になっても、できる限り娘の役に立ちたいと思う親心からでした。
姉は、まず横浜でも母が適切な治療が受けられるように、
パーキンソン病の医師探しを開始。
そして、その医師から、介護保険サービスの利用を勧められます。
それが、母がその後14年近くお世話になることになる「介護保険」との出会いでした。
初孫(私の甥)を抱っこする母(2001年1月)