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【池上彰さん解説】G7広島サミットから1年 関係者が語る舞台裏

G7首脳らによる原爆資料館の訪問。そして、ウクライナのゼレンスキー大統領の突然の対面参加。歴史的なサミットとなった3日間を深く関わった関係者の証言から舞台裏に迫ります。 サミットの幕開けは平和公園。G7首脳たちによる原爆資料館の訪問が実現した。 ■岸田文雄首相 「いかに被爆の実相を心穏やかに感じてもらうか。これは、重要なことであると思って取組みました」 開催の支援組織を取りまとめていた村上は、政府に訪問案を提出していた。 ■広島サミット県民会議 村上慎一郎 事務局長(当時) 「時間がない中でどのくらいまでだったら受け入れてもらえるか、この案が通るのかというのを考えながら作った資料なんですけど…」 サミットの7か月前、外務省に示した原爆資料館の訪問ルート。 東館から入り、本館を視察することを提案した。 ■広島サミット県民会議 村上慎一郎 事務局長(当時) 「本館を見てもらいたいというのが一番強かったかな…。なかなか時間的にも難しかったのかなと思ってますけど」 首脳たちの滞在は、およそ40分間。中の様子は、公開されなかった。 ■岸田文雄首相 「公開するか非公開にするか。あるいは見てもらうメンバー、 できるだけ各国首脳に絞る。このあたりに難しさがあったと振り返っています」 当時、外務省G7サミット事務局の副事務局長を務めていた溝渕は、資料館訪問の調整にあたっていた。 ■外務省G7広島サミット事務局 溝渕将史 副事務局長(当時) 「限られた日程である中でG7各国首脳に自然な形で展示物だとか資料館の中を見ていただきたかった。人間としてっていうかですね。そこをどうしてもカメラ等入るとまたそこが難しくなるという事情があったと思います」 関係者によると本館から被爆者の遺品などの一部が運び込まれ、首脳たちの視察は、”東館のみ”だったとされる。 ■岸田文雄首相 「実際アメリカの大統領のみならず、各国、特に核兵器国の国内世論というのは複雑なものがあります。しかしその中にあっても、各国リーダーに、静謐かつ厳粛な雰囲気の中で被爆の実相に触れてもらう。このことを心がけました」 もう一つ、被爆の実相を伝える上で欠かせないことがあった。 ■広島サミット県民会議 村上慎一郎 事務局長(当時) 「被爆者とG7首脳と対話をしていただく、証言を聞いてもらう。そういった機会をどこで作るかということでした。 そうした中で時間がないんで資料館を見ていただく中で、どこかのタイミングで被爆者の人に面会してもらうという設定をしようと思って。」 被爆者との面会は実現した。 資料館の中で、英語で語られる小倉桂子さんの被爆証言に首脳らは耳を傾けた。 ■岸田文雄首相 「小倉桂子さんの話についても、 各国リーダーとも真剣なまなざしで話を聞いてもらいました」 直前まで伏せられたのが、ウクライナ・ゼレンスキー大統領の広島訪問だった。 ■岸田文雄首相 「(去年)3月に私自身、ウクライナを訪問し、ゼレンスキー大統領にサミットへの参加の要請を行いました。当初は、オンラインでの参加ということでありましたが、大統領本人の強い希望もあり、 対面での出席を検討することとなりました」 政府関係者によると、参加の意向が伝えられたのはサミットの10日ほど前。 ■外務省G7広島サミット事務局 溝渕将史 副事務局長(当時) 「あるときに聞いてそれでやっぱ極秘チーム、特別チームを組んでですね。最後はもうグランドプリンスホテルの中で、そのチームがもう極秘裏に毎晩毎晩、準備を始め(た)」 サミットの警備を指揮した森元は、訪問は想定していたと明かす。 ■広島県警 森元良幸本部長(当時) 「ゼレンスキー大統領の訪日の可能性につきましては、対応できるように緻密な警備計画を作成するという観点から所要の準備を進めておりました」 村上も異変を感じていた。 ■広島サミット県民会議 村上慎一郎 事務局長(当時) 「平和公園の中一部のマスコミしか入れなかったから、早く開放してマスコミの人たちに資料館を見てもらおうと思っていたわけです我々。そしたらある時点で、『ちょっと難しくなりました、開放できません』と(外務省から)連絡が来て、これは何かあるなと」 ■外務省G7広島サミット事務局 溝渕将史 副事務局長(当時) 「一番大きな問題は我々実は日程がわからずですね、 どこの空港におりてくるのか、どういう飛行機でおりてくるのか。そして何時におりてこれるのか」 錯綜する情報。日程が決まったのはサミットが始まった後だった。 ■外務省G7広島サミット事務局 溝渕将史 副事務局長(当時) 「警護警備をしなきゃいけませんので防弾車、車両を確保して1台だけじゃありませんからね。警察庁、そして広島県警にもちろん情報共有をして」 ■広島県警 森元良幸本部長(当時) 「正式に決まったという時も、よし、やってやるぞと相当数の予備部隊ですね。予備部隊を招集するなどの対応をとっておりまして、こうした予備部隊を柔軟に運用するなどの対応を取った。日本警察の威信がかかった警備なので失敗は許されないと」 世界が注目した電撃訪問にも対応し、極限の緊張感の中、サミットは全ての日程を無事に終えた。 ■外務省G7広島サミット事務局 溝渕将史 副事務局長(当時) 「最後の岸田総理の議長国としての記者会見が終わったときですね。達成感と安堵感を感じることができました」 ■広島県警 森元良幸本部長(当時) 「県民の方々自身が広島サミットをぜひ成功させたいという思いが大変強いなというのが伝わってきましたので、警察が行う警備も本当にたくさんのご協力をいただいて改めてお礼を申し上げたいと思っています」 ■広島サミット県民会議 村上慎一郎 事務局長(当時) 「外務省、県警も同じ気持ちでこのサミットを成功させようという気持ちがそこは共通してましたので、それによってこの成功につながったんじゃないかなと思ってますね」 【スタジオ】 (森アナウンサー) 資料館の見学が非公開なのは、核保有国への国内世論を考慮したということですね。 (池上彰さん) その気持ちもよくわかるけど、首脳の表情を見たかったですね。 その後、カナダのトルドー首相が資料館にもう一度行ったと聞いて、うれしかったですね。 運営に関しては、日本の組織力、力を持っているんだということが示せたと思います。 これなら広島で、様々な国際会議を開けるということを世界に知らしめたのではないでしょうか。 (2024年5月19日放送)

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