広島テレビは、1962年の開局以来、
人類初の被爆地“ヒロシマ”を
伝え続けてきました。
「つなぐヒロシマ」と題して
これまで放送してきた、
原爆についてのニュース特集やドキュメンタリーを配信します。
2021年からは、一部を読売新聞広島版の「語りたい伝えたい 読売新聞×広テレ」と共同取材し、
テレビや新聞、インターネットで伝えます。
1945年8月6日、キノコ雲の下で
何が起きたのか…。
知って、考える機会にしてください。

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被爆者・坪井直さんの遺志を継ぐ若者

10月24日、被爆者・坪井直さんがこの世を去った。
原爆の閃光に焼かれたのは20歳の時。以来、被爆者運動の先頭に立ち核兵器廃絶を訴え続けた。
2016年、福山市の盈進ヒューマンライツ部が坪井さんの半生を聞き取り一つの冊子にまとめた。
坪井さんとヒューマンライツ部の出会いは2015年。
被爆者団体の集いで被爆4世の部員が発表したスピーチがきっかけだった。
卒業後、冊子の製作に携わったメンバーの中には学生団体を設立した大学生もいる。
あきらめないー。その言葉を胸に、核なき世界の実現に向けて歩む若者の姿を伝える。

苦しかった時代を知ってほしい 被爆者 佐々木フジ子さん 95歳

佐々木フジ子さん(95)は終戦の前年、安芸太田町の親元を離れ、
広島市安佐南区祇園の軍需工場で働き始めました。
工場は爆心地からおよそ4キロメートルのところにあり、
8月6日、佐々木さんは工場内で「ピカ」に遭遇しました。
キノコ雲を目の当たりにし、恐怖に襲われたといいます。
市内中心部から被爆した無数の人々が押し寄せ、工場は臨時の救護所となったのです。
佐々木さんはケガ人の手当に追われました。
ガラスの破片が刺さったまま呆然と立ち尽くす少女、
急に陣痛が始まった妊婦の出産の手伝い…
今も地獄のような記憶が鮮明に残る佐々木さんは、戦争を知らない世代に、
どんな時代だったのか知ってもらいたいと願っています。

ローマ教皇からのメッセージ
〜戦争はもういらない〜

12億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会のトップ、ローマ法王・フランシスコ。今年来日する意向を示している法王に被爆地への訪問を呼び掛けようと、広島と長崎の高校生がバチカンを訪れた。対面を果たした2人は、法王に被爆地の声を届ける。「11月に会いましょう」そう約束した法王は11月に被爆地を訪れ、平和へのメッセージを発信する。ナショナリズムに揺れる世界に問いかけるローマ法王が語りかけることとは…。ローマ法王と高校生の心の交流から、ローマ法王来日の意味を伝える。

2019年11月30日放送

原爆資料館
〜ヒロシマを遺す〜

原爆投下から10年後に開館した原爆資料館。今年4月25日にリニューアルオープンした。館内は被爆者の遺品や被爆当時の写真、そして被爆者が描いた絵など被爆の実像にこだわる。遺品を提供した被爆者はリニューアルした原爆資料館をどう思うのか。広島の小学生は…。これまでオバマ大統領やローマ法王など多くの人が訪れてきた原爆資料館。初代館長の原爆資料館に対する思いを息子が語る。核廃絶を願うヒロシマの思いを新しい時代にどう受け継いでいくか。

2019年5月25日放送

原爆供養塔の聲

広島の平和公園にある原爆供養塔。そこに名前が判明しているにも関わらず遺族の元に戻っていない814人の遺骨が今も眠る。一体なぜ?我々が遺族探しを始めると存在しない住所も。そんな原爆供養塔から去年暮れ7年ぶりに遺骨が遺族の元に戻ってきた。名前が漢字一字違うことから特定に至らなかったが、映画「この世界の片隅に」がきっかけで行政も動いた。そして73年の時を経てある遺族が一歩を踏み出した。その思いとは…

2018年3月31日放送

洋次郎の4000日

冨恵洋次郎さんは1979年7月26日生まれの37歳、広島市内のバー「スワロウテイル」のオーナーだ。冨恵さんは原爆が投下された8月6日にあわせた毎月6日、自身が経営する店などで「被爆体験を聞く会」を開いている。きっかけは「原爆がうつる」と知人に言われ、自分自身が原爆について何も知らず何も言えなかったことだと語る。今年1月肺がんのステージ4と診断された。余命2か月の宣告を受け、様々な治療を試しながら毎月6日の「被爆体験を聞く会」を続ける日々を描く。

2017年7月30日放送

被爆米兵

2016年5月27日、アメリカのオバマ大統領が現職の大統領として初めて広島を訪れた。そして被爆者で歴史研究家の森重昭さんを抱き寄せた。その理由は約40年間にわたり一人で広島で被爆した米兵を調べていたからだ。広島テレビでは長年、森さんの活動を密着取材。その活動及び被爆米兵についてまとめたドキュメンタリー作品です。
(2016年・第12回日本放送文化大賞・準グランプリ作品)

2016年4月30日放送