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人工呼吸器は、いわゆる延命治療です。
取り付ければ、ひとまず命はつながりますが、何年も意識が戻らないかもしれません。
私は、すぐに、横浜に住む姉に電話をかけました。
しかし、家は留守で、携帯もつながりません。
なぜこんな時に…、お願いだから出て!と祈りながら何度もコールしましたが、
どうしても連絡がつきません。
医師から「人工呼吸器はどうするか決めましたか?」と再び意思確認がありましたが、
「もう少しだけ待ってください。」とお願いして、タイムリミットぎりぎりまで
電話をかけ続けました。
しかし、とうとう姉と話ができないまま、決断の時を迎えました。
親戚に意見を求めようか?とも考えましたが、
遠く離れた叔父や叔母に現状を分かってもらうこと自体、難しいと思いました。
もう、自分が決めるしかないんだ!
私は覚悟を決めました。
まず考えたのは、母だったらどうしたいか?ということでした。
母はもちろん死にたくはないでしょう。
ただ、たとえ命をとりとめても、これから何十年も動けず、話せず、食事もとれず、
ベッドの上で過ごすことになるかもしれません。
49歳でパーキンソン病を発症した母は、20年近くもの間、思うように動かない体を嘆き、
苦しみ、耐えてきました。
それなのに、もっと動かない体で、これから先何年も頑張れだなんて、とても言えない。
かわいそうすぎる。
母はもう十分、病気と闘ったのではないか。
一方で、もし私の判断で母の命が断たれたと親戚が知ったら、どう思われるだろう。
それでも生きていてほしかったと責められるのだろうか。
さらには、家族の判断を尊重すると言ってくださっている医師も、
心の中では非情な娘だと思うのかな、などと考えてしまうのでした。