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不定期連載 ヒロシマ日記<36>被爆75年の夏
2020.8.11

一昨日8月9日は、長崎原爆の日でした。

原爆投下時刻の午前11時2分、私が住んでいる廿日市市でもサイレンが鳴り、

子供たちと手を合わせました。

田上長崎市長は、平和宣言の最後を「長崎は、広島、沖縄、そして戦争で

多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、

核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。」

と締めくくりました。

6月の沖縄慰霊の日の平和宣言に、「ヒロシマ・ナガサキと平和を願う心を共有する」

という文言があっただけに、一昨日の宣言に「沖縄」が含まれていたことが

個人的には嬉しく思いました。

また、今年の広島の平和宣言の中に6度も登場した「連帯」という言葉が

長崎でも使われ、まさに連帯感を感じることができたのも印象深かったです。

 

被爆75年となった今年の8月6日、私は、ジャーナリストの池上彰さんと、

広島・原爆の日の特別番組を放送しました。

今年は被爆者の高齢化に、新型コロナウイルスという新たな問題が加わり、

被爆体験を聞く機会が当たり前ではなく、いかに貴重か、

改めて気づかされることになりました。

そんな中、あの日の記憶を懸命に受け継ごうとする高校生に語った

池上さんの言葉…

「この75年、被爆者が広島・長崎の惨状を伝え続けてきたことで、

世界の人々は、原子爆弾が単なる大きな爆弾ではないことを知り、

核兵器は“使えない”兵器になった。

記憶が薄れると、“使ってみようか”という誘惑に駆られる人が出てくる

危険性がある。

だからこそ、あの日何が起きたのかをずっと言っていかなければならない」

 

今後、核兵器が“使えない”兵器のままであり続け、

さらに“この世からいらない”兵器になるかどうかは、

今を生きる私たちにかかっているんだなと強く感じました。

次世代に平和のバトンをつなぐ一人として、身の引き締まる8月です。

(池上さんにはテレビ派にもご出演いただきました)

 

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