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2009年2月28日

瀬戸内海のゴミ(3)

瀬戸内海の底にはどのくらいのゴミがたまっているのでしょうか?

7月のブログには海上を漂うゴミについて、11月には、環境省など
が乗り出した海底ゴミ実態調査の状況をご紹介しました。

このたび、秋から3か月に渡って行われた海底ゴミ調査の結果が
出ました。

調査に協力したのは、広島県・安芸津と愛媛県・新居浜、それに
香川県・小豆島の3つの漁協です。

広島・安芸津   約880kg    (可燃・不燃)
愛媛・新居浜   約1,390kg   (可燃・資源)
香川・小豆島   約11,472kg   (可燃・不燃)

調査した船の数や日数はそれぞれの漁協で違います。
多い日には、1日で約10kg以上のゴミを引き上げたといいます。
ゴミが上がりすぎて全く漁にならない日もあるそうです。

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安芸津漁協が回収した海底ゴミ (自動車部品から湯沸かし器などの家電までさまざま)


日本福祉大学の磯部作教授は、瀬戸内海の海の底には推定で
1万3,000tを超えるゴミが堆積しているとみています。

広島県も春から市町と漁協が協力して海のゴミ回収に乗り出します。

今後も引き続き、瀬戸内海の現状を番組、ブログでお伝えしていきます。

2009年2月26日

沖永良部島で出会った素敵な女性たち(2)


(2)黒潮焼 陶芸家 神川セツさん

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黒潮焼は、沖永良部島で神川セツさんが初めて生み出した陶器です。沖永良部の土を使い、
ガジュマルやソテツ、サトウキビなどを素材にした上薬を塗って焼き上げます。


セツさんが念願のお店オープンに辿り着くまでは、幼少時代のインスピレーションから実に50
年が経っていました。
きっかけは、幼い頃、セツさんが沖永良部の粘土質の土でおもちゃを作って遊んだことに遡り
ます。そのおもちゃを、つい水の中に入れてしまいました。おもちゃは見る見る溶け出しました。
セツさんはそれを見て驚き、悲しくて悲しくて涙が止まらず、いつまでも泣いていました。そこに、
おばあちゃん登場!
「もう一度、作ってごらん」

セツさんは、おもちゃを作っておばあちゃんに渡しました。するとおばあちゃんは、 焚き火の残り火の中に、そのおもちゃを放り込んだのです!
「あっ・・・!」
しばらくして取り出してみると、前よりも硬く、水に強いおもちゃに変身していたのでした♪
この時、セツさんは「沖永良部の土は焼くと固まる」ということを頭の隅に刻みつけ、いつか自分
で作ってみたいと思ったそうです。
その気持ちを忘れずに、長年の構想を実行に移したのは、結婚後、子育てが落ち着いてからでした。当時、ご主人は役場職員、セツさんは旅館を営みながら、一人自宅で陶芸の研究に没頭
しました。みんなが山に山菜を摘みに行く時、セツさんは山菜ではなく、土を掘って大きな袋いっぱいの土を「ふうふう」いいながら持ち帰りました。
どの土が焼き物に相応しいのか、数種類の土を混ぜあわせる土作りから勉強しました。
やがて素焼きに挑戦しますが、何度やっても、いつまで経っても、窯の火が思うように燃えません。悔し涙が溢れ、何もやる気が起きなくなり、数カ月間、窯の蓋を閉めたまま、窯を見る気にもなれなかったそうです。一度は諦めたものの、これが最後と、窯を買った製造会社に電話してみました。
「そちらで窯を購入したのですが、燃えないのです」
電話口の向こうから、熱心な指導が始まりました。セツさんは受話器を耳に当てたまま、言われ
た通りに操作しましたが、結果は同じでした。
そのうち、相手が「風、風向きはどうですか? 今の風向きと窯の位置を教えてください!」と声
を張り上げました。その瞬間、謎が解けました。
窯に向かって微妙に風が吹き込んでいたため、うまく火がつかなかったのです。目に見えず、いつも当たり前にあって、気がつきにくいものです。
自然と渾然一体となって初めて生み出される焼き物に、幼少時代、まるで手品のようにおばあ
ちゃんが見せてくれた感動を思い起こしました。
その後、島の植物を使った上薬をいくつも研究し、技術を磨き、沖永良部島で初めての窯元に
なりました!
「 第二、第三の人生」という言葉を聞きますが、神川さんご夫妻は、今、お互い新しい仕事に励
んでいます。
ご主人は、定年退職後、経験を積み、現在、神主をされています。
セツさんは今、旅館業を卒業し、陶芸一筋です!
セツさんのひたむきさに「思いを持ちつづければ、形となって現れる」と感じました!
お別れの時に握手した手は、柔らかくて、あったかくて、スベスベしていました。

2009年2月25日

沖永良部島で出会った素敵な女性たち(1)


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沖永良部島は、鹿児島市から南へ約550km、沖縄からは北へ約60kmに位置する
隆起サンゴ礁の美しい島です。
年間平均気温は約22度。200余りの大鍾乳洞群が見られ、春には、ユリやフリージ
アが咲き誇ります。
琉球王朝の史跡があり、風景や言葉遣いからも沖縄文化の影響を強く受けているこ
とを感じます。
今回は、「将来こんなふうに輝きたい!」と思った「島美人」をご紹介します!

(1) 森カ子(もりかね)さん〜「イラディ・イラバディヌ・イラブジマ」
                   (選んでも選びきれないほどよいところがいっぱいの沖永良部島)
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「ここは子どもたちが方言を使う唯一の場所です。」
学校教諭だった森カ子さんが森商店をはじめてから30年余り。
店に入るなり「イラディ イラバラヌ イラブヌシマ」という言葉を教えていただきました。
「私はこの島に生まれて、今ここで孫たちの顔をみながら過ごせることが何よりも嬉し
いの!世界で一番幸せ者です!!」満面の笑みで、話が始まりました。

店に入るとまず、子どもたちは「ウガミヤブラ〜(こんにちは)」
そうすると、カ子さんが「メンショ〜レ」(いらっしゃいませ〜)」
買い物をすませると「ミヘディロ!(ありがとう)」となるのが理想です。

鹿児島の島々には、古くから美しい響きの方言があります。それが戦後の教育で、方言
を使っていては、島外で社会に出た時、すんなり対応していけないのではという理由など
から、小学校で方言を使うことを禁止した時期がありました。現在40代の人の話では、学
校で方言を遣って、「私はきょう方言を使いました」と書いた画用紙を首からぶら下げ、廊
下に立たされたこともあるそうです。今では逆に、しまの言葉を大切にしていこうと、学校
で方言の演劇を試みたり、辞書を作ろうという話が持ち上がったりしています。

ところが、今では方言を知らない世代が増え、核家族化で子どもたちがお年寄りと話す機
会も少なく、カ子さんは、ここで「ミヘディロ」が言える子どもたちを育んでいきたいと話して
くださいました。
もう一つ、カ子さんが一枚の紙を渡してくれました。
分かりますか?

kakei.jpg

ワー名(私の名前)から始まって両親の祖父母の名前まで書けますか?という表です。
アチャが父、アマが母、ジァージャが祖父、アジが祖母です。
私はすぐに書き込んでみましたが、両親の先が進みません。
祖父母のうち3人は私が生まれる前にすでに亡くなっていたので、お墓参りの時に見た
名前を思い起こしながら書いてみましたが、どうしても一人、漢字が思い出せません。
こんなに簡単で、そして大切なことが書けないなんて・・・。
彼岸に、父から曾祖父と曾々祖父の名前を聞いたばかりでしたが、祖父の漢字をどうし
ても思い出せませんでした。おじいちゃん、ごめんなさ〜い!

沖永良部では、年上やご先祖様のことを「ウヤホウ」といって敬意を表します。
私が滞在した2日間だけでも、この「ウヤホウ」という言葉を5回以上耳にしました。
カ子さんは、「ミヘディロと同じように、子どもたちにせめて祖父母の名前くらいは言える
人であってほしい」と願っています。
帰り際、「おばあちゃんは世界で一番美味しいアンダギー(揚げドーナツ)が作れるの。
これ、もって帰って食べてね」と、できたてのアンダギーを持たせてくれました。
一瞬、子どもにかえったような気持ちになりました。
私は、教わったばかりのぎこちない発音で「ミヘディロ!ミヘディロ!!」と言いながら店
を出ました。

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2009年2月17日

沖永良部島・おきのえらぶじま(鹿児島県)

「20世紀少年〈第二章〉最後の希望」はご覧になりましたか?
ヒロインの平愛梨さんのご両親の故郷が沖永良部島と知り、
ぜひ、大好きな沖永良部島を紹介したくなりました♪

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まずは、沖永良部に魅せられたきっかけ、海です!

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沖永良部島を訪ねた時に立ち寄った、ダイビングショップに飾ってあった
写真の数々。私が実際に潜って見てみたいと思ったきっかけの海です。

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海は神秘に満ちていますね〜!!
↓写真を見ていると魚が鳥のようで、海の底が地上のような錯覚に陥ります。
  
  シードリーム沖永良部のホームページを見ると、魚たちのトルネードや
  ウミガメなど美しい写真がいっぱいです♪http://seadream.ti-da.net/

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次回は、沖永良部で出会った素敵な女性をご紹介します。