
放送日:2011年12月24日(土)
軍港の町として栄えた呉市。今も造船や鉄鋼などの工業都市として発展を続ける。その町のほぼ中央に立つレンガの煙突。千福で知られる酒造メーカー三宅本店のシンボルだ。創業は155年前の江戸時代安政3年。最初はみりんなどを作った。清酒を造り始めたのは明治35年からだ。現在社長は6代目の三宅清嗣52歳。39歳の若さで社長に就任した。三宅社長は「伝統と文化は大切にする。だがそれだけでは企業の存続も発展もない。技術革新、時代への対応は欠かせない。双方を大事にしてチャレンジを続けたい」という。老舗メーカーの挑戦を追った。



放送日:2011年12月17日(土)
かつて造船の島と言われた因島。三和ドックは尾道市因島重井町にある。船舶の修繕専門の会社だ。修理を行うドックは3本、その他に岸壁に接岸しての修理も行う。国内を運行する内航船と外国航路を走る外航船の受注で年間400隻近い修繕を行う。受注数は国内トップだ。三和ドックの社長は寺西勇。従業員400人を率いる。多様な対応が迫られる船舶修理。新造船造りとは違う幅広い知識と技術が必要だ。
寺西社長は「どこにも負けない設備と技術。船主のニーズに応えていく。修繕ドックの名医であり続けたい」と言う。顧客との信頼関係で未来を拓く三和ドックの挑戦を追った。



放送日:2011年12月10日(土)
府中市父石町にある中居木工。社長は中居睦博。従業員15人を率いる。中居木工の主力製品は木製折り畳みベッド。オリジナル商品の木製折り畳みベッドがテレビショッピングで紹介され人気に火が付いた。15年前には珍しかったホームページにもいち早く取り組み売上げを牽引した。いま通信販売での売り上げが9割を占める。中居社長は「与えられた図面通りの製品を作るだけでは企業の発展はない。町の小さな工場が生き延びるために必要なもの。どこにもない商品を作ること。そうすれば時代は超えられると確信している」という。独自の発想で魅力ある商品を創りだす中居木工の企業マインドに迫る。



放送日:2011年12月3日(土)
広島市南区宇品東に金庫のトップメーカー熊平製作所がある。従業員はおよそ450人。今年で創業113年を迎えた老舗だ。熊平製作所の創業は明治31年まで遡る。創業者は熊平源蔵。16歳の時、東京の金庫メーカーと代理店契約を結んだ。熊平商店を興し、金庫の販売・修理を始めた。経済成長とともに拡大する金融機関の金庫室整備などで業績を上げた。経済が成熟し、金庫が頭打ちになった。平成10年に新たな進路に大きく舵をきり、金庫で培った技術と心をセキュリティ分野に発揮する決断をした。社会のニーズはますます増してくる。社会の安全と安心に貢献すること。新商品開発で伝統に革新をもたらす熊平製作所の挑戦を追った。



放送日:2011年11月26日(土)
広島市を流れる元安川。そこにかかる平和大橋の川下に「かき船かなわ」がある。川面の表情を楽しみながらカキ料理中心の食事が出来る。かき船かなわが使うカキはすべて「かなわ水産」のものだ。かき船かなわとかなわ水産の社長は兄弟。二つは兄弟会社だ。江戸末期の慶応3年、広島湾で始めたカキの養殖が原点だ。名産の誉れが高かった広島カキ。いまも年産2万トン、全国シェア6割を誇る。三保社長は「本当に美味しい広島カキを食べてもらうことが私たちの使命」という。
広島の食文化。守り続けることと新しい時代への挑戦。かき船かなわの歳月を追った。



放送日:2011年11月19日(土)
今、全国から注目を集めるブランド豚がある。広島特産の幻霜スペシャルポークだ。何よりの特徴は霜降り。豚には不可能だといわれてきた霜降りに挑戦し、実現したのは広島市安佐北区安佐町にある幻霜ファームだ。1万ヘクタールの農場で2000頭を飼育する。社長は長田誠史、56歳。40年間種豚を育てるブリーダーの道を歩んできた。長田社長は「ライバルは和牛の最高格付け、A-5だけ。高級和牛並みの豚肉。挑戦した甲斐があった」という。今年10月、幻霜スペシャルポークが香港に輸出された。広島から肉の輸出は初めての快挙だ。広島で生まれたブランド豚。販路を広げ、広島特産の名を広めてゆきたいという幻霜ファームの挑戦を追った。



放送日:2011年11月12日(土)
福山市は工業都市、もの作りの町として発展を続けてきた。福山市東部の箕沖工業団地。その一角にシギヤ精機製作所がある。円筒研削盤では国内2位のシェアを誇る。社長は4代目の鴫谷憲和、50歳。売り上げは65億円、従業員250人を率いる。社員の4分の1は技術者。求められるのはマイクロメートルという高精度。技術がシギヤ精機の屋台骨を支える。設計からの一貫体制だ。鴫谷社長は「一貫体制で可能にする精度と高品質。時代は省エネがキーワード。自動車やバイク部品にも省エネが求められる。それを工作機械としてどう実現するかの挑戦」という。創業から今年で100年。一貫生産、技術力で世界一を目指すシギヤ精機製作所の挑戦を追った。



放送日:2011年11月5日(土)
広島県府中市にある金光味噌。味噌どころ府中で明治5年に創業、来年で140年になる老舗だ。社長は4代目の金光邦彦。従業員15人を率いる。いま、食生活の変化で国内の味噌の売り上げは減少傾向をたどる。若者の味噌離れを食い止めるために新しい食べ方を次々に提案する。国内だけでなく金光味噌はおよそ40年前から輸出を手掛けてきた。昭和40年代には年間100トン以上を輸出したこともある。今も100か国以上に輸出する。海外での商談会や見本市にも積極的に参加する。伝統どう守り、どう時代に立ち向かうのか。金光味噌の挑戦を追った。



放送日:2011年10月29日(土)
広島市内で7つの専門学校を運営するのが学校法人・上野学園だ。在校生は約2500人。中四国エリアでは最大規模となる。学園の理事長は上野淳次、67歳。専門学校教育一筋の道を歩んできた。上野学園のスタートは昭和41年。広島経理研究所を開いたことから始まる。当時大学を出たばかりの上野理事長が夜と日曜日に税理士の国家試験を目指す受験指導を行った。翌年には4人の税理士試験合格者を出し、2年後には5階建ての校舎を建て、広島会計学院と改称した。上野学園は今年45周年を迎え、これまでの卒業生は5万1200人を数える。社会が求めるものと、若者たちが学んで進みたい道。スペシャリストを養成する上野学園の広がりを追った。



放送日:2011年10月22日(土)
ワールドカップで優勝した「なでしこジャパン」に授与された国民栄誉賞。その記念品に選ばれたのが熊野の化粧ブラシのセットだった。竹田ブラシ製作所が話題の化粧ブラシセットを作った。社長は竹田史朗、67歳。従業員は家族を入れて15人。授与式の直後から注文や問い合わせが殺到した。土日を返上して今もフル操業が続く。熟練の職人が手仕事で一本一本丁寧に作る。人気の商品は2か月待ちの状態が続いている。竹田ブラシ製作所は社長の父、逸雄が昭和22年に竹田逸雄商店として立ち上げた。書道筆の産地として知られる熊野町で化粧筆を始めた。竹田社長は「世界一の品質と世界初の商品を目指したい。熊野から世界に発信したい」という。竹田ブラシ製作所の挑戦を追った。



放送日:2011年10月15日(土)
広島市佐伯区五日市町石内に産業廃棄物の処理や資源のリサイクルを行う「カンサイ」がある。社長は川本義勝、64歳。年間売り上げは8億円、従業員60人を率いる。創業者は社長の父、勝司。昭和43年に産業廃棄物処理を手掛ける「関西特殊産業株式会社」をおこした。当時廃棄物の処理が自治体から民間への委託が始まっていた。勝司はそこにビジネスチャンスを見つけた。川本社長は「社会を陰で支える存在だった廃棄物処理はいま社会のニーズで最先端ビジネスのひとつになった。処理とリサイクルを通して新しい価値を生み出したい」という。人と自然との調和が企業のテーマ。それを実現するために環境技術を磨いてきたカンサイの挑戦を追った。



放送日:2011年10月8日(土)
株式会社フジ。本社は松山市にある。中四国6県で96店舗を展開するチェーンストアだ。東証1部に上場し、年間売り上げは3000億円を超える。フジは昭和42年、広島の繊維問屋「十和」の子会社として発足した。愛媛県松山市に本社を置いたのは、広島に置けば「十和」の得意先に影響が及ぶと考えたからだ。全くの新天地で挑戦を始めた。そしていま96店舗、中四国6県にネットワークを築いた。
全面改装を進めていた広島市中区のフジグラン広島。10月1日にリニューアルオープンする。中四国にネットワークを構築するスーパーのフジ。フジにとって原点である広島店の全面改装と開店に向けた日々を追った。



放送日:2011年10月1日(土)
現代社会を支える交通機関や産業。科学技術による未来への挑戦。それらを陰で支える計測器を作り、システムを設計提案する会社が広島市中区三川町にある新川電機だ。新川文登社長は「新川電機は新しい価値の創造で社会に貢献する」という。新川電機の従業員は700人。売上げは247億円。計測器メーカーの横河電機の代理店を中心に、自社ブランドを持つ総合商社だ。国内はもとより、アメリカ、中国、シンガポール、ベトナムに海外営業拠点を持ち、自社ブランド製品の輸出や世界の最先端技術製品の輸入なども行う。グローバル企業としての世界への飛躍。新川電機の新しい挑戦を追った。



放送日:2011年9月24日(土)
福山市箕島町にネームプレートなどの制作で国内有数のシェアを持つ柿原銘板製作所がある。社長は柿原博樹59歳。売上げ24億円、従業員130人を率いる。創業は社長の父である正敏が昭和24年に興した。戦後の復興と工業化の波が柿原銘板を支えた。昭和57年急死した父に代わり、30歳の博樹が社長に就任した。柿原社長は「会社の進路をどう決めるか。品質、コスト、納期などの製品管理をどうするか。目指したのは受注から納品までの一貫体制だった」という。機械や製品が持つ存在感を高め、情報伝達の一翼を担う銘板。いま、グローバル企業を目指す。創業から62年の柿原銘板製作所が思い描く企業像と取り組みを追った。



放送日:2011年9月17日(土)
広島市中区舟入中町にケータリング業務を中心とするイベントスコミュニケーションズの本社がある。そこにはケータリング用料理をつくるセントラルキッチンがある。披露宴や出張パーティーなど2000人分までが調理可能だ。社長は川中英章、50歳。脱サラをして27歳のとき起業した。
川中社長は「単に食べ物を提供するのではなく食べることの提案。演出を加えることによって集まりの意義をより深くすること。それがイベントスの仕事」という。
食のエンターテイメントを業を目指すイベントスコミュニケーションズの挑戦を追った。



放送日:2011年9月10日(土)
中四国で一番の商店街、広島市中区の本通商店街。1日に10万人が通行する。その商店街で一番の賑わいをみせるのが「ひろしま夢ぷらざ」だ。県内各地の特産品をそろえ、地域情報を発信する。ひろしま夢ぷらざの背景にあったもの。中山間地で進む過疎化と高齢化。どうすれば地域は元気になるのか。広島県商工会連合会が立ち上がった。ひろしま夢ぷらざの役割を倉岡所長は「地域の特産品作りを活性化させ、地域と都市の消費者の仲立ちをすること」という。13年をむかえたひろしま夢ぷらざ。地域活性化のために始まったアンテナショップが成功した要因を探る。



放送日:2011年8月27日(土)
東広島市西条西本町に地場の飲料メーカー「宝積飲料」がある。社長は3代目、宝積良忠57歳。大学卒業後、商社の営業を3年経験し昭和54年に入社した。創業者は社長の祖父、宝積弥作。知人がやっていた小さなラムネ屋を引き継いだ。作業はほとんど手作業。家業を企業にと2代目で社長の父である神州男が次々に新しい取り組みに挑んだ。機械化と新商品の開発。知恵を絞った。今、志和工場では250種類の商品を製造する。自社ブランド商品と相手先ブランド商品、それに受託商品がある。宝積社長は「メーカーとしてやっていくには受託が大きな割合を占める。そうした中で企業の存在理由を示していくのが自社製品」という。飲料業界の厳しいせめぎあいに生き残りをかけ、ヒット商品を狙う宝積飲料の挑戦を追った。



放送日:2011年8月20日(土)
福山市のすぐ隣、岡山県笠岡市茂平に自動車部品メーカーのヒルタ工業がある。社長は4代目、昼田哲士。売上げ270億円、従業員1000人の会社を牽引する。ヒルタ工業の創業は昭和3年、福山市草戸町に備後絣などを染める染色工場を興した。時代の変遷で大きく業態を変え、戦後は板金や溶接の技を磨き自動車部品の分野に転身した。部品の主な納入先は三菱自動車水島製作所。昭和40年にヒルタ工業は生産拠点を広島県から岡山県にシフトした。昼田社長は「ニーズがあるところ出かける。そして新たなニーズを切り開く。やれることは何でもやる。雑草魂だ」という。設計から検査までの一貫体制。世界市場をターゲットにしたグローバル展開を目指すヒルタ工業の挑戦を追った。



放送日:2011年8月13日(土)
広島市中区幟町にあるエリザベト音楽大学。カトリックの教えをもとに音楽教育に取り組む。学部から大学院博士後期課程などを要する中四国・九州では唯一の音楽大学。現在およそ500人が学ぶ。開校は昭和23年まで遡る。初代学長はベルギー人神父、エルネスト・ゴーセンス。原爆で廃墟と化した広島で青少年に希望を与え、広島に文化の灯りをともそうと昭和22年、小さな音楽教室を始めた。ここからエリザベト音楽大学の歩みが始まる。いま音楽大学が求められているもの。時代の要請とエリザベト音楽大学のあるべき姿。音楽を愛する人材育成と教育への取り組みを追った。



放送日:2011年7月30日(土)
府中市河南町にあるタテイシ広美社。オーダーメード専門メーカーとして、看板をはじめ、電光掲示板など様々な種類の看板を扱う。いま特許を申請し、力を注いでいるのが最先端を行くライトパネルだ。立石克昭社長は「看板をきれいに見せるだけでなく、発光ダイオードLEDを使うことによって環境にも配慮した看板。この流れが広告や情報伝達の世界を切り開く」という。創業は昭和52年。会社は順調に成長していたが、平成3年のバブル崩壊で売上げが3割落ちた。その時注目したのが電光掲示板だった。大手メーカーができないこと。そこに中小企業が進出する隙間があると思った。手書きの看板職人が挑んだ電光掲示板の開発。広告媒体としての電光掲示板から情報伝達のための役割へ。タテイシ広美社の挑戦に追る。



放送日:2011年7月23日(土)
三次市街の南、三次市東酒屋町に三次ピオーネ生産組合の圃場はある。標高は300〜350メートル。広さは35.6ヘクタール。ハウスと露地で栽培する。19戸の組合員農家が平均1.7ヘクタールを担当する。三次は全国に知られるピオーネの産地。4つの川が合流し、日中と朝晩の温度差が大きく、これがぶどうの着色をよくする。
三次ピオーネ生産組合の設立は昭和49年。スタート時、24戸の農家が参加を決めた。農家の大半は兼業農家で果樹栽培の経験がなかった。だが新しい果樹栽培に農業の未来を託し、ゼロからスタートした。当時、新種であるピオーネに知名度はなかった。マスカットや巨峰が主流だった。「食べてもらえばわかる」との思いでデパートなどで試食宣伝を繰り返した。今や三次のピオーネはブランドになった。その色とつやから「黒い真珠」と呼ばれる。三次ピオーネ生産組合の苦労の歳月と最高級ブランドへの挑戦を追った。



放送日:2011年7月16日(土)
広島県廿日市市。ここに「生活協同組合ひろしま」の本部事務所がある。いま生協ひろしまの組合員は38万を数える。従業員は650人、売り上げは440億円にのぼる。
生協ひろしまの出発点は昭和46年。前身の「広島県婦人生活協同組合」は会員401人でスタートした。物価高に対抗し、暮らしを守るための組織だった。昭和48年のオイルショックでは灯油の共同購入などで組織を拡大した。
昨年、全国の生協で初めて農業生産法人を設立し、農業に参入した。にんじんやサラダホウレンソウなどを減農薬で栽培し生協ひろしまに納入する。
広島に生活協同組合が生まれて40年。暮らしを守るための安心と安全。生協ひろしまの果たす役割と挑戦を追った。



放送日:2011年7月2日(土)
猿猴川にそって広がる広島市南区大州地区。自動車、機械、電気関連の町工場が多く集まる。そこに鋳物メーカーの木下製作所がある。車両や自動車部品の鋳物を作り、鋳造炉の開発を続けてきた。開発の先頭に立つのは2代目社長の木下潔、56歳。大学で金属工学と物理学を学び、アメリカの大学でも物理学を学んだ。創業者である父が開発し、特許をとったのがKS式電気炉。木下定の頭文字をとった。欠陥商品の原因にもなる炉内の酸素を除去する電気炉だ。品質の高い鋳鉄の製造を可能にした。今、一層の期待を集めている太陽光発電。その太陽電池の原料であるシリコンのリサイクルに木下製作所が乗り出した。技術開発力で国際競争にどう打ち勝つか。木下製作所のグローバルな戦略と新たな展開を追った。



放送日:2011年6月25日(土)
広島市南区宇品海岸に酒販店、酒商山田がある。お洒落なビルの一階と二階。明るく女性でも入りやすいその店は、昨年度の「いい店ひろしま」に選ばれた。棚を埋めているのは焼酎と日本酒。一般的な酒飯店が中心的に扱うビールはない。山田淳二社長は「ビールの売り上げは1%にも満たない。ほとんどが焼酎と日本酒。日本の酒に特化した。それが小さな酒販店が生き延びる戦略」という。
入手困難な酒も酒商山田にはある。そんな評判が広がり全国から注文が入る。山田社長が商売を引き継いで23年。山田の進める店舗経営はユニークだ。酒販店は酒を売るだけではない。もっと新しいことが出来る。挑戦を続ける酒商山田の企業マインドに迫る。



放送日:2011年6月18日(土)
広島は新潟と並ぶ鯉の産地。錦鯉の養殖と販売を手掛ける老舗、小西養鯉場の店は広島市西区三篠町にある。体長5−6センチから1メートルを超える大物まで。値段も315円から高価なものまで幅は広い。小西丈治社長は「錦鯉の色と模様。同じものは一匹もない。世界で一つだけのもの」という。創業者は社長の祖父、各一。大正の半ば、広島で先駆けて鯉の養殖と販売を始めた。二代目は社長の父、利勝。15のときから家業を手伝い錦鯉の養殖を手掛けた。日本の文化として育ってきた錦鯉。その美しさにいま外国人が熱い視線を送る。新たな品種開発と販路を世界に広げる小西養鯉場の挑戦を追った。



放送日:2011年6月11日(土)
広島市中区光南に急成長を続け、注目を集める企業「アイレンタル」がある。社長は重道泰造、46歳。600人余りのスタッフを率いる。アイレンタルにはレンタル事業部と保育サービス事業部の二つの事業部がある。重道社長は「二つ事業部に相互の関連は無いように見えるかもしれない。だが時代を見据えて取り組んだ結果が二つの事業部になった」という。アイレンタルのスタートは昭和41年。病院の入院患者に白黒テレビを貸す商売を始めた。まだレンタルという言葉は一般的でなく、アイ貸テレビと名前をつけた。貸テレビからスーツケースレンタルに転じたのは平成6年。社長の重道が入社してからだ。その後、企業からの依頼で事業所内の保育室の委託運営を始めた。3年前には認可保育園の運営にも乗り出した。株式会社としての保育事業への進出と可能性。アイレンタルの挑戦を追う。



放送日:2011年6月4日(土)
かつて海軍工廠が置かれ軍港としてにぎわった呉市。いまも造船や製鉄が基幹産業の町だ。港に近い呉市三条にラムネなど清涼飲料水を作る中元本店がある。中元本店の創業は大正14年。活気にあふれていた町で、安くてのど越しの良いラムネは人気を集めた。創業時には年間100万本を出荷した。その後、多様な飲料も登場し、大量生産・大量消費の時代が小さな企業を翻弄した。呉市内の同業者はラムネ作りをやめ、中元本店だけが続けてきた。中元直己社長は「守り続けるものと消費者の求めるもの。アイデア次第でヒット商品は生まれる。中小企業の心意気を示したい」という。
創業から85年。ラムネ作りを続ける中元本店の企業マインドに迫る。



放送日:2011年5月28日(土)
三次市の工業団地に電子部品や情報通信機器を製造する地場大手メーカーがある。ミヨシ電子だ。社長は前川泰久、48歳。グループ全体の従業員は1000人余り。売り上げは163億円を数える。昭和43年、社長の父である前川裕佑がミヨシ電子の前身、三次電機を興した。三菱電機の白黒テレビの製造を請け負ったが、時代はすぐにカラーテレビへと移り、1年半で減産体制に入った。下請けからの脱皮を図り分野を広げた。
前川社長は「お客様のニーズをつかんですぐ開発できる体制。そしてすぐに商品化し、保守などもできる一貫体制の構築を目指した」という。
日々技術革新が進む電子関連業界で大きな役割を果たすミヨシ電子の挑戦を追った。



放送日:2011年5月21日(土)
福山市鞆町に練り製品など水産品加工を手掛けるウオヒサがある。社長は原田隆史。大学で食品工学を学んだ後、父親が経営する食品加工会社に入社した。機械化を進め、大量生産を目指す会社だった。自分の目指す方向ではないと思い、独立した。しかし現実は厳しく、最初の5年間は赤字だった。待っていても売れない。スーパーの店頭で実演販売をし、客の声を直接聞いた。翌朝にはその声を商品に反映させた。原料の小魚は知り合いの漁師が届けてくれた。原田社長は「手仕事、手間暇を惜しんだら本物の味は出せない。それが嫌だったら店は閉めた方がいい」という。新鮮な地魚へのこだわり。その美味しさを生かす練り製品つくり。ウオヒサの展開する販売戦略に迫る。



放送日:2011年5月14日(土)
広島市西区商工センターの広島市中央卸売市場。水産会社や漁師が持ち込んだ魚を仕入れて小売店向けに売る仲卸業者の吉文がある。社長は吉本和人、61歳。40年の経験を持つ。吉文の創業は江戸時代。331年前までさかのぼる。江戸時代は「吉和屋」、明治時代からは「吉文」の屋号。その商売が現在まで続いている。吉本社長は「遠い祖先は知らないが、ながくこの商売を続けることが出来たのは、ほどほどにやってきたから。大きくなりたいと無理に背伸びはしなかった。ほどほどが大切」という。魚の産地と食卓をつなぐ仲卸。プロ集団の気概と心意気で魚の美味しさと日本の食文化を伝える。吉文の企業マインドに迫る。



放送日:2011年5月7日(土)
福山市川口町にある平和建設。社長は岡田吉弘。農業生産法人アグリインダストリーとパンなどを製造する紫萌堂の社長も岡田が務める。平和建設の創業は明治15年、土木工事や建設を手掛ける岡田組を立ち上げた。戦後、平和建設に名前を変え住宅建設や福山城の月見櫓再建工事などで名を広めた。岡田社長は「建設業は時代の主役だったが今は違う。大きな未来展望を持てなかった。農業の将来も決して明るくなかったが、それは未来のある暗さだった」という。平成17年に農業生産法人アグリインダストリーを立ち上げ、広島ではほとんど栽培されなくなっていた「もち麦」の栽培を復活させた。もち麦を有効に活用する方法はないか。それがパンの製造につながった。企業グループとしての農商工連携。平和建設グループの挑戦に迫る。



放送日:2011年4月30日(土)
広島市中区大手町にビル管理の老舗、広島管財がある。ビル管理、ビルメンテナンスとはビルの清掃、保守、機器の運転を一括して請け負い、サービスを提供すること。社長は川妻利絵。6年前、4代目社長に就任した。川妻社長は「多くの人の目に触れない場所での仕事。陰で企業活動を支える。何よりも365日休みのない仕事」という。社長の祖父、川妻卓二が昭和36年、広島管財を興した。被爆からの復興が進み、高度経済成長が加速していた時代。だがビルメンテナンスの言葉が理解されない時代だった。ニーズを待つのではなく、ニーズを喚起する。時代の先端をいく企業の使命だった。今年創業から50年、大きな節目を迎える広島管財の挑戦を追った。



放送日:2011年4月23日(土)
広島市佐伯区湯来町に牛乳を製造する工場がある。牛乳の宅配で知られる「砂谷」の本社工場だ。砂谷の牛乳は7軒の契約酪農家から集めた生乳でつくる。時間をかけた100度以下での殺菌法にこだわるため、賞味期限は1週間と短い。
創業は昭和25年、当時の佐伯郡砂谷村に生まれた久保政夫が故郷で酪農をするために山野を開墾し牧草地を開いた。久保政夫が切り開いた新しい道。新鮮な牛乳をたっぷり飲んで欲しいと始めたのが宅配だ。現在の社長は3代目、久保太一郎。
久保社長は「食品としての安全と安心。その原点を再確認する。変革しなければ生き残れないこともある。地域の中で連携しながら新たな展開を目指す」という。守るものと変えていくもの。宅配牛乳「砂谷」の企業マインドに迫る。



放送日:2011年4月16日(土)
多様な形態で個性的な店を経営するジェリーフィッシュドット。広島と東京を中心に56店舗を展開する。スタッフはアルバイトも含め1100人。率いるのは貞廣一鑑、47歳。 貞廣は自衛官だった父親に反発して、高校卒業を前に家出した。最初についた仕事がディスコ。料理を作り、DJもやった。ディスコ界で名前を知られるようになり、有名店「マハラジャ」の広島店長も経験した。その後、飲食業に転じた。「人との縁で始めたが、従来の水商売の枠を超えた飲食業をやりたかった」と貞廣はいう。貞廣がレストラン経営に進んで16年、和をテーマにした店舗コンセプトで店舗数を増やしてきた。人が真似できない店。今までにない店。そして新しい飲食のカタチ。ジェリーフィッシュドットの挑戦を追う。



放送日:2011年4月9日(土)
コンテナなどの積み下ろしや機体整備のための高所作業に欠かせない航空機用テーブルリフト。国内トップシェアの7割を誇るナンバーワン企業が福山にある。株式会社アカシンだ。赤松治美社長は「40年ほど前、ヨーロッパの空港を視察した。飛行機は人と同時に大量の貨物を運ぶことを初めて実感した。国際化が進めば日本にもその時代はきっと来ると確信した」という。創業は大正6年。社長の祖父、赤松新吉が港町・鞆の浦の特産品、船の錨を作りはじめた。鉄を熱し、槌で叩く鍛造で錨を作った。だが船の大型化にともない、鍛造錨から鋳造による錨へと移り変わった。時代の変化にどう対応するか。錨から金属プレス、鋼材を切断加工するシャーリングへと業態を変えた。そしてテーブルリフトのトップメーカになって技術を更に磨く。アカシンの挑戦を追った。



放送日:2011年3月19日(土)
福山城に近い胡町。ここに懐かしさの漂う店がある。名前は「豆徳」、徳永製菓の直営店。豆菓子の専門店だ。社長は八代目、上迫豊。15年前に入社し、去年社長に就任した。徳永製菓の創業は142年前の明治2年。雑穀商がスタートだった。豆菓子を作り氷を製造販売する製氷業やパンの製造販売も手掛けた。だがどの業種も大手との価格競争。廃業を考えたこともあった。会社の窮地を救ったのが9年前に販売した真っ黒な豆「竹炭豆」だ。今も根強い人気だ。去年味覚を審査する国際的なコンテストで優秀味覚賞を受賞した。豆菓子としては世界初の受賞だった。上迫社長は「豆菓子の既成概念や固定観念を打破したい。それが国際市場への進出にもつながる」という。豆の可能性と新しい商品開発。徳永製菓の戦略を探る。



放送日:2011年3月5日(土)
西風新都の一角、広島市安佐南区伴南に和粉の専門メーカー、上万糧食製粉所がある。原料の貯蔵から製造、出荷までの一貫体制をとる。創業は昭和3年。上野万平が当時の観音で製粉工場を始めた。団子の粉をはじめ、上新粉や白玉粉など米を原料にした粉を作って来た。それから83年、和粉一筋の道を歩んできた。
現在は三代目社長、栗栖恭一が指揮をとる。栗栖社長は「伝統と受け継いできた技。それに加える最新の設備。ここから新たな和粉の世界を目指す」という。
健康志向の高まり。それにどう応えるか。伝統食品にどう新たな付加価値をつけるか。上万糧食製粉所の挑戦を追った。



放送日:2011年2月26日(土)
尾道市の中心部にある東西1.6キロの本通り商店街。界隈に約300の店が軒を連ねる。だがシャッターの閉まった店が目立つ。そんな中で間口を広くとり、ひときわ明るい店がある。看板には「工房おのみち帆布」の文字。かつて帆船に使われていた布、帆布をつかったバッグや文具、帽子などを製造販売する。幅広い年代層の客が足を運ぶ。その多くが観光客だ。この店を展開するのは特定非営利活動法人、NPO法人だ。八年前に認証を取得した。木織雅子理事長は「市民の多くにNPO法人としての取り組みに共感してもらった。帆布を仲立ちにして様々なイベントやワークショップを展開している。それが尾道の活性化につながればと願っている」という。時代と地域の要請、伝統産業である尾道帆布の魅力をどう発信するか。工房おのみち帆布の取り組みを追った。



放送日:2011年2月19日(土)
かつて高嶺の花といわれた輸入車。その輸入が自由化されたのは昭和40年。好不況、流行、そして時代を取り巻く環境。輸入車登録の推移が時代を物語る。輸入車が辿った歳月と同じような歴史を重ねてきたのが、広島市安佐南区中筋にあるバルコムモータースだ。主に扱うのはドイツの高級車、BMW。従業員はアルバイトを含めて440人。売上は145億円。山坂哲郎社長は「少子高齢化や人口減少。車、特に輸入車の市場が大きく拡大することはない。逆に縮むだろう。」という。自動車ビジネスの大きな変化。バルコムのグループ会社が運営する飲食店「弁兵衛」が、昨年上海で開かれた食品フェアに参加した。中国のビジネス環境を探り、可能性を感じた。時代を読みながら安定経営のため業態をどう広げるか。バルコムモータースの挑戦に迫る。



放送日:2011年2月12日(土)
ダンボールで出来た子供用の家具、おもちゃの台所や道具入れ。それらを作ったのは広島市佐伯区五日市にある板野紙工。ダンボール製品の設計開発メーカーだ。板野紙工の創業は明治の終わり。木箱の製造を手掛けた。当時広島には陸軍第五師団があり、その砲弾を入れる木箱を作った。戦後は輸出用の針を入れる箱を作った。昭和34年頃ダンボールが木箱に取って代わった。ダンボールのシートを買い、ダンボール箱を作った。中小企業では太刀打ちできない大手との価格競争。新しい進路を目指した。
社長の板野護は「ダンボールのリサイクル率の高さ。箱の概念を越えて新しい開発を行えば時代が認めるエコ商品になる。」という。人と地球に優しい素材に新たないのちを吹き込む。板野紙工の挑戦を追った。



放送日:2011年2月5日(土)
尾道市因島の産業団地。ここに植物活性材や健康補助食品を製造する万田発酵がある。密閉した室内に約400個の大きな樽が並ぶ。樽の中には50種類を越える果物や野菜、海藻などが入っている。3年3カ月以上をかけて自然発酵させ、万田酵素をつくる。
商品として万田酵素を売り出して28年。日本健康・栄養食品協会の定める安全と品質の基準をクリアし、植物発酵食品メーカーとしては日本で初めて認定を取得した。発酵の力を健康に役立てたい。その目的実現のために要した歳月は23年、四半世紀にも及ぶ。
万田発酵の挑戦を追った。



放送日:2011年1月29日(土)
2010年秋に住宅展示場で東亜ハウスが新しいモデルハウスの上棟式を行った。このモデル住宅は主に広島県産の木材を使う。
地産池消は林業の振興と、環境対策にもなる。東亜ハウスの新しい取り組みが進む。安佐南区山本の大規模団地「春日野」。広島では最大の2300区画を越える。地場大手のデベロッパー、東亜地所が造成し、分譲中だ。宅地造成のデベロッパーである「東亜地所」とハウスメーカーの「東亜ハウス」で東亜グループを形成する。西本義弘社長は「デベロッパーとハウスメーカー、車の両輪。グループの力を結集して住環境の充実を目指す」という。
住まいの夢を形にする。団地の造成と注文住宅の建設。100年後を見据えた団地と家作りに取り組む東亜グループの挑戦を追った。



放送日:2011年1月15日(土)
安芸区船越にある梅田酒造場。醸造する銘柄は「本州一」。地下60メートルの井戸から岩滝山の伏流水を汲み上げる。米を研ぐ作業から仕込みまですべての工程で使う。
創業は大正5年。間もなく1世紀を迎える地方の小さな酒屋が辿った歳月は平坦な道ではなかった。日本酒離れ、焼酎ブーム。廃業を覚悟したこともあった。
社長は三代目、梅田修治。杜氏は土居亨。三代目社長の梅田と杜氏の土居が目指したのは新しい酒造り。小さな蔵でも負けない酒は造れる。何度も廃業を覚悟しながら世界最大級の品評会で世界一の栄誉を手にした梅田酒造場。山からの伏流水、広島の酒米と酵母。そして広島の杜氏。広島にこだわり世界への挑戦を続けた梅田酒造場の企業マインドに迫る。



放送日:2011年1月8日(土)
企業を取り巻く環境は厳しい。どこに未来を見出すか。一つの指針がある。時代を切り抜け、歳月を重ねてきた長寿企業だ。
尾道市にある創業419年の尾道造酢。県内では最も長寿企業といわれる。北前船で北海道にも酢を送り財をなした。
福山市の虎屋本舗は創業から391年。今も祭りに因んだ「とんど饅頭」の伝統の味を守り、一方ではそっくりスイーツで全国の話題を集める。
山県郡北広島町の小野酒造。創業から314年を数える。銘柄は長寿にあやかった「老亀」。社長が杜氏を務める蔵元杜氏だ。幾つもの時代を超えて紡いで来た夢の軌跡。時代の変遷に向き合い、挑戦を続ける長寿企業。
3社の創業年数は千年を優に超える。その企業精神、スピリットに迫ります。


